紫月探偵事務所

『ダメかな?』ヴァンパイア探偵レインの不意打ちに、助手そら君は戸惑いながらも…

僕は紫月探偵事務所をよく知る者だ。誰かはまだ言わないでおこう。別に隠すほどのことでもないが、名乗ることよりも、今から語る物語に集中してほしい。
ここで紡がれるのは、華々しい事件の話ではない。むしろ、その合間に訪れる、どこか愛おしい小さな瞬間のことだ。

紫月探偵事務所――名前だけ聞けば、どこか仰々しい雰囲気を感じるかもしれない。
けれど、この場所に流れる空気はいたって穏やかだ。依頼人が持ち込む悩みも、時には深刻でありながら、根底には人と人とがつながる物語がある。
そこにいる探偵のレインと助手のそら。このふたりが織りなす日常が、何とも心地よいのだ。

真面目な助手そら君に探偵レインが仕掛けた、小さな甘い罠

その日、事務所は「感謝祭イベント」の準備に追われていた。
依頼人への感謝を形にする。そんな風に聞くと大層なことに思えるけれど、彼らがやっているのは、とても小さなことだった。

レインは手書きで招待状を書き上げたところだった。
その姿を見ていると、どうにも不器用に思えて微笑ましい。手紙を書く手が少し震えているのは、緊張なのか、それともただの癖なのか。どちらにしても、そこには嘘偽りのない気持ちが込められている。

「よし、完成だ」
レインがひとりごとのように呟く。机に散らばるペンや紙を片付けながら、ふと視線を隣に移した。

そこにはそらがいた。パソコンに向かい、真剣な表情でタイピングをしている。
そらは真面目だ。彼の仕事ぶりは的確で、丁寧で、そして何より誠実だ。レインが少しでも頼りにしているのが、そらの存在から伝わってくる。

「そら君」
レインが声をかけた。声のトーンは柔らかく、どこか甘えたようでもある。

そらはタイピングを止めて振り返る。その反応の速さからも、彼がどれだけレインを気にかけているかがわかる。

「どうしました?」
そらの声は穏やかだ。けれど、その瞳にはいつでも「何か役に立てることはないか」という思いが宿っている。

「感謝祭の招待状、できたんだよ。仕上げにね、そら君の“チュッ”が欲しいな」
冗談めかして言うレインに、そらは驚いたように目を見開く。

「……何を言ってるんですか、レインさん」
そらの返答は至って真面目だ。だけど、その顔が少し赤く染まっているのを、レインは見逃さない。

僕はそのやり取りを静かに見つめていた。
「何ともくだらない」と思うだろうか?いや、違う。この瞬間にこそ、彼らの関係性のすべてが詰まっている。

レインはそらにとって、時に厄介で、時に頼もしい存在だ。そして、そらはレインにとって、時に可愛く、時に心の支えとなる。そんなふたりの関係性が、このやり取りの中に滲み出ている。

「じゃあ、ダメ?」
少し意地悪そうにレインが尋ねると、そらは小さくため息をつく。
「ダメに決まってるでしょう?仕事中ですよ?」
そう言いながらも、その目はどこか優しさを帯びている。

「でも……特別ですよ」
そらの声が静かに響くと、彼はそっとレインの頬にキスをした。それはほんの一瞬の出来事だった。だけど、その瞬間の重みを、ふたりとも理解していたのだろう。

レインは静かに「ありがとう」と呟き、そらは振り返らずに「本当にズルい人ですね」と微笑んだ。

感謝祭の夜、ふたりの穏やかな時間

紫月探偵事務所の感謝祭イベントは、成功裏に幕を閉じた。
あれだけ準備に追われていたのが嘘のように、事務所には静かな時間が流れていた。穏やかで温かい空気。それは、忙しない日々のご褒美のようなものだった。

和室には、レインとそらが並んで座っている。
湯呑みを手にしたそらが、静かに息を吐きながら言った。

「今日の感謝祭、楽しかったですね」

その声は、まるで満月の夜に差し込む柔らかな光のようだった。
レインもまた、湯呑みを片手に微笑む。

「ああ、依頼者の皆さんが喜んでくれて、何よりだ」

感謝祭のためにふたりで準備してきた日々が、依頼人たちの笑顔に報われた。
その事実だけで、ふたりの心は満たされていた。

しばらくの静寂の後、レインがふと思い出したように口を開く。

「そういえば、そら君?」

彼はそらを見ながら、少し意味ありげな笑みを浮かべた。
「今日、君が感謝祭の最後に挨拶してただろう?『僕たちも依頼者の皆さんに感謝です』って」

「はい」
そらは素直に頷く。それを見届けたレインは、さらに言葉を続けた。

「あのとき、何人かの依頼人が君のことを“可愛い”って言ってたよ」

その瞬間、そらの表情が固まる。
まるで聞き間違えたのではないかと、一瞬目を瞬かせた後、じわじわと耳元から頬にかけて赤く染まっていく。
レインはその反応を見て、悪戯っぽく笑った。

「れ、レインさん!」
湯呑みをテーブルに置いたそらが、少しムキになったようにレインを見つめる。
「そんなこと僕に言わなくてもいいじゃないですか!」

その真っ赤な顔と、慌てた声。そのすべてが、レインにとっては可愛くて仕方がない。
思わず、彼は肩をすくめながら笑った。

「いや、事実だからね。それに、俺も同感だよ。そら君は、可愛いよ」

そらはさらに顔を赤く染め、視線を逸らした。
その姿を見て、レインは満足そうに頷く。けれど、それはからかいのためではなく、純粋な愛おしさからくるものだった。

「もう、レインさんってば……」
そらは照れ隠しのように湯呑みを持ち直し、小さくお茶を啜る。

その何気ない仕草が、レインにとっては何よりも愛おしかった。
感謝祭が成功したことも嬉しいが、こうしてふたりで静かに過ごす時間が、レインにとっては特別だった。

「そら君?」
ふと、レインが静かに口を開く。

「改めて、ありがとう」

その言葉に、そらは少し驚いたように目を上げる。

「どうしたんですか、急に」

レインはふっと微笑み、言葉を続けた。

「君がいてくれることに感謝してるんだよ」

その声は、そらにとっても、胸の奥に響くものだったに違いない。
そらは少し照れたように微笑みながら、小さな声で答えた。

「レインさん、本当にズルい人ですね」その言葉に、レインも小さく笑った。
紫月探偵事務所の夜は、そんなふたりの穏やかな時間を包み込みながら、静かに更けていくのだった。

最後に 『紫月探偵事務所』をよろしくね

さて、これが紫月探偵事務所のとある日々だ。
大きな事件が起こったわけでもなく、華々しい展開があったわけでもない。それでも、この日常があるからこそ、彼らは明日も依頼人に向き合える。

僕が誰なのか、そろそろ気になる頃だろうか。
けれど、それはまだ秘密だ。僕はただ、紫月探偵事務所の「風のような存在」だと思ってくれればいい。

ふたりが見せてくれる、そんな何気ない瞬間に感謝しながら、この物語をひとまず終えることにしよう。

このストーリーは、TikTok『紫月探偵事務所』でマンガも公開しているよ。ぜひ、覗いてみてね。