はじめまして。僕は、この物語の舞台である「紫月探偵事務所」をよく知る者です。
その名の通り、ここには数々の不思議な事件が舞い込み、そして様々な人生が交差していきます。
僕の正体については――まあ、それはいつか明かす時が来るでしょう。
今は、この物語に耳を傾けてみてください。少し奇妙で、少し温かい、そんな日常の一幕を。
さて、今日お話しするのは、ヴァンパイアの青年アシュリーと、自由奔放なおばあちゃん山田さんのお話です。
彼らの物語は、笑い声に満ちていますが、その奥にはほんのりと切なさが漂っています。
それでは、物語の始まりです――。
運命に翻弄される青年アシュリー
まず、アシュリーという男の話をしよう。
彼はヴァンパイアだ。吸血鬼として生まれ、不老の時を過ごしてきた。
けれど彼の生き方はどこか不器用で、むしろ人間よりも人間らしい。
そんな彼には、かつて愛した人がいた。アシュリーにとってその人は、まさに「生きる意味」とも言える存在だった。
しかし、ある日突然、その人はアシュリーの前から姿を消してしまう。理由も告げずに。
それからのアシュリーは、ただひたすらに彼を探す旅に出た。
長い時を彷徨い、絶望を抱え、それでも前に進むしかなかった。
そしてようやく見つけたその瞬間――彼の喜びは束の間だった。
彼が見つけた「かつての愛する人」は、アシュリーのことを覚えていなかったのだ。
記憶はおろか、共に過ごした時間や大切な約束まで、すべてが失われていた。
さらに彼の隣には、新しい誰かがいた。アシュリーではない、別の誰かが。
この事実を前に、アシュリーは絶望しただろうか?
いや、彼はそれでも諦めなかった。想いを届けたいという気持ちは、彼の中で確かに燃え続けていたのだ。
自由奔放なおばあちゃん、山田さん
さて、次に話すべきは山田さんだ。
彼女はデイケア施設「ゆずれもんホーム」に住むおばあちゃんであり、この場所のムードメーカーだ。
山田さんの何が特別かというと、その「自由さ」だ。彼女は誰にも縛られることなく、自分らしく生きている。
そんな彼女が大好きなもの、それが「なごや天麩羅」。
海老の旨味が詰まったこの煎餅を、山田さんは「罪深い」と評して愛してやまない。
この日もまた、リビングルームでは「なごや天麩羅」を巡るやり取りが繰り広げられていた。
「山田さーん、また食べてる!ダメですよ、食べ過ぎは!」
アシュリーが山田さんに声をかける。彼女は煎餅の袋を抱え、満足げな笑みを浮かべている。
「だって美味しいのよ、なごやのえび煎餅!天然海老の旨味がサクサクのお煎餅に詰まってるんだから、罪な味よねぇ~」
嬉しそうに語る山田さん。その顔はまるで子供のようだ。
アシュリーは呆れ顔で返す。
「健康第一ですよ!今日は3枚までって約束したじゃないですか!」
しかし、山田さんはさらりと言い放つ。
「そんな約束、私の記憶にはございません!」
こうして二人のやり取りは、笑い声と共に続いていく。
アシュリーの一途な性格と、山田さんの自由さ。この対比が、どこか温かく心を和ませる。
「大切な気持ちは、必ず伝わる」
山田さんがアシュリーに向けたある一言が、物語の鍵になる。
それは、彼が抱える焦りや不安にそっと寄り添うような言葉だった。
「大切な気持ちはね、必ず伝わるものなのよ。焦らなくていいわ」
その言葉に、アシュリーは驚いた顔を見せた。
長い時間を孤独に過ごしてきたアシュリーにとって、誰かにこんな風に言葉をかけられるのは久しぶりだったのだろう。
彼の心に小さな灯がともる。忘れられた記憶や叶わない想いに押しつぶされそうな彼を、山田さんの言葉が救ってくれたのだ。
「泣き虫あっちゃん。お煎餅で元気出して!」
そう言いながら山田さんはアシュリーの頭をぽんぽんと撫でる。
その瞬間、アシュリーの顔には自然と笑みがこぼれた。
笑い声が照らす未来
アシュリーの人生は決して簡単ではない。
愛する人に忘れられるという運命に立ち向かい、想いを伝えたいと願う彼の道のりは、まだ険しいままだ。
けれど、山田さんの言葉と笑顔は、確かに彼の背中を押した。
そしてリビングルームに響く二人の笑い声は、施設全体の空気をも明るく照らしていた。
「想いはきっと伝わる。」
その希望を胸に、アシュリーはまた一歩前に進むだろう。
その姿は、私たちに「自分の想いを信じる力」を思い出させてくれる。
こうして彼らの物語は、また新たなページを刻んでいく。
山田さんの笑顔と「なごや天麩羅」、そしてアシュリーの涙――それらすべてが、この物語の一部なのだ。