紫月探偵事務所

紫月探偵事務所の隠れ家に咲いた一輪の花の記憶

皆さん、こんにちは。物語の案内人を務めさせていただく者です。名前は……まあ、秘密にしておきましょう。なぜなら、物語において重要なのは私ではなく、皆さんがこれから目撃する風景と登場人物たちだからです。これだけはお伝えします。私は何者かの視点に立ち、彼らの物語を記録しているだけの存在です。では、ゆっくりと和室の襖を開けてみましょう。

一輪の花が照らす記憶の光

紫月探偵事務所の隠れ家は、街の喧騒を忘れさせる静寂に包まれている。その中でも、特に落ち着いた空間とされているのが、一つの小さな和室だった。

この日、その和室に姿を現したのは、探偵のレインと助手のそら。二人の影が畳に柔らかく落ちる。

「やっぱり隠れ家は落ち着きますね」と、そらは畳に足を下ろしながら、ぽつりと漏らした。

レインは軽く微笑むと、障子越しの柔らかな光に目を細める。「そうだね、そら君。和室の静けさと柔らかな空気……本当に癒される。まあ、そら君と一緒なら、たとえ砂漠にいても癒されるかもしれないけどね」と冗談めかして言った。

「もう、レインさんったら!」そらは肩をすくめて笑う。その笑顔は和室の静けさと相まって、どこか穏やかな空気を醸し出していた。「でも、なんだか心が穏やかになる感じがします」

ふと、そらの視線が部屋の隅に置かれた花瓶に向かう。一輪の花が静かに咲いていた。

「この花も、とても綺麗ですね」とそらが言うと、レインもその方向に目を向ける。

「そら君、この花は君が持ってきたんじゃないのかい?」レインが首をかしげた。

「僕じゃないですよ。レインさんが飾ったんじゃないんですか?」

「いや、僕じゃない。じゃあ、一体誰が……?」

二人の間に一瞬、静寂が訪れる。レインは注意深く周囲を見渡し、花に近づいた。その瞬間、不思議な現象が起こる。花がレインの胸元に下げられたペンダントと共鳴し、淡い光を放ち始めたのだ。

「共鳴している……?」レインは驚きの声を漏らす。「そら君、気を付けて」

そらも光に見入る。「あっ、これは……!」その目に何かがよぎった。

「そら君、もしかして何かを思い出したのかい?」レインが問いかける。

そらは少し迷うように口を開いた。「はい……切ないような、でも温かいような感情が……」

「どうやら、この花も記憶の鍵になっているようだね」とレインは静かに言った。「そら君、彼らの物語を聞こうか」

二人は眩い光の中心を見つめる。その光の向こうに、花が宿した記憶が広がっていくようだった。

百年の花への誓い

秋の夕暮れどき、一人の青年が村はずれの森に足を踏み入れました。

 青年の名は漣(れん)。代々畑を耕して暮らす平和な村の住人で、病に苦しむ妹のために薬草が欲しいと禁足地に入ったのです。

 奥に進んでいくうちに、着物は枝に引っかかって破れ、わらじはすり減っていきます。そのとき、

「ああっ……」

 彼は輝く花のつぼみを見付けました。べっこうの櫛や、翡翠の珠、琥珀の首飾りなど、村の結婚式で使われるどんな宝石よりも美しく光っています。

「まさか、これが百年の花……」

 百年に一度、特別な花が咲く。その花が咲いたとき村は豊かになると、長老がよく話していたのです。これなら妹の病に効くかもしれません。けれど、漣は花のつぼみを目の前にして動けませんでした。あまりにも美しく、そして儚げだったからです。

「ごめん……」

 今帰れば、病気の妹が苦しんでいるでしょう。それでも、漣は手折ることが出来ませんでした。

「何故、謝るのですか?」

「わわっ」

 ふり返ると、知らない男性がいました。透き通った肌、ふわりと中を浮く布を両手に通しています。それは花を守る神様でした。

「あなたは、この花に魅入られても触れなかった。欲しいと思っても自らを律した。その心がけは素晴らしいものです」

 漣は神の微笑みと優しさに心を打たれ、事情を洗いざらい話してしまいました。病気の家族のために薬を探していること、本当は花を折ろうと思ったこと、けれどあまりにも美しくて怖じ気づいたのだということ。

「それを、優しさというのです。……わたくしは月夜(つくよ)。この花を守り、百年ごとに咲かせることが使命です。村人の病も、この花が咲いたときには治るでしょう」

「ほ、本当ですか! だったらこの花は、咲くまで僕が守ります!」

 漣はそう誓って、夜の森を家まで帰りました。

 それからというもの、漣は晴れた夜は必ず森に向かいました。神はいつも歓迎してくれました。

「もしかして……ずっと一人なんですか?」

「ここには誰も来ませんから」

 神はとても寂しそうに笑いました。また別の日、野犬が光るつぼみに近付いてきたので、漣は石を投げて追い払いました。

「お怪我はありませんか? 月夜様」

「わたくしは怪我などしませんよ。……でも、花を守ってくださりありがとうございました」

 その感謝を込めた笑顔に、思わず漣の頬が赤くなりました。恋をしてしまったのだと気付いた漣は、悩んだ末に月夜に打ち明けました。

「これからもずっとこの花を守るだけなのですか? あなたには自由があるはずです。花がなくても……僕の村は頑張っていけます。妹の薬も、どうにか買い求めます。どうか、あなたには幸せになってほしい。こんな寂しい場所にいてほしくない!」

「漣、あなたの優しさに感謝します。しかし、遙か昔、わたくしは村人に恩を受け、ずっとこの村を守っていくと誓ったのです。……あなたの愛に感謝します。あなたに出会えてよかった。いずれ、別れが来るのだとしても……」

 漣は毎晩必死に訴えましたが、神は微笑むだけでした。ちょうどその頃から村に雨が降り始め、何日経っても止む気配がありません。このままでは田畑が全て水に沈んでしまいます。村人は、百年の花が咲けば……と祈っています。

 漣は、雨の中を思い切って森に向かいました。神は花の傍で泣いていました。

「どうしたのですか、月夜様」

「ああ、漣。漣。ごめんなさい。この雨はわたくしのせいなのです。わたくしが、あなたに惹かれてしまったから……。あなたの言葉に心が動いてしまったから……。だから、花も、咲かないのです」

 恋をした神の力は、悪い方に作用してしまったというのです。

「最後にあなたに出会いたくて、待っていました」

「最後、って……」

「わたくしは、これから、この花に全ての力を注ぎます。花が咲けば、雨は止むはずです」

「やめてください! つまり、あなたが消えてしまうってことでしょう!?」

「漣、あなたに感謝します。あなたがこの村を愛し、わたくしを愛してくれたこと、それが何よりの喜びでした。この村を守ってきたからこそ、あなたに会えたのです」

「ああ……」

 彼の瞳に宿る揺るぎない光は、決意の固さを表すものでした。

「月夜様…僕はずっと、あなたを忘れません。これから、いつまでも、いつまでも愛し続けます。あなたは、僕の心を永遠(とわ)に照らす光です」

 その言葉を受けて微笑んだ神がつぼみに触れた瞬間、眩い輝きが場を満たしました。雨雲は吹き飛び、満天の星空が一人の青年を照らしています。青年は無言で花の前で膝を折り、祈りを捧げ、そして二度と森には戻りませんでした。

 百年後、永遠の愛の証は再び、森の中で花を咲かせることでしょう。

百年の花と、巡りゆく想い

静寂に包まれた和室で、そらが目を細めながら花を見つめた。
「この花が『百年の花』なんですね」と、そっと呟く。

レインはその隣で切ない表情を浮かべる。「これは……なんて言ったらいいのか……」

そらもまた、感慨深げに花を見つめながら言葉を続けた。「月夜さんと漣さんの愛が、こうして今も息づいているなんて…本当に奇跡みたいです」

「そうだね」とレインは花に手を伸ばし、触れることなくその形を確かめるように眺める。「数百年前に実を結んだ二人の愛を伝え続けるのが、この花の役割になっているようだね」

「百年に一度咲く花を見られるなんて……すごいことですね!」
そらの声には、純粋な驚きと感動が混じっていた。

レインはそらに視線を向け、静かに微笑む。「本当に不思議な巡り合わせだ。ここに飾ったのが誰なのかは分からないけれど、意図的に『百年の花』を選んだように感じる。きっと、何か大切なことを伝えたかったのかもしれないね」

そらは少し考え込んだ後、明るい表情で口を開いた。「そうかもしれませんね。この花が月夜さんと漣さんの想いを繋いでいるように、僕たちも……誰かに想いを伝え続けられる存在になれたらいいなって思いました!」

その言葉に、レインはそっと頷く。「そら君と俺なら、きっと叶うと思うよ。『百年の花』が証明しているように、真実の愛は形を変えても、時を超えて残るものだからね」

そらは照れくさそうに笑う。「レインさん…そんなこと言われたら、嬉しいけど、ちょっと照れちゃいます」

レインはそっとそらの手を取る。その仕草は、温かさと決意を帯びていた。「照れているところも可愛いね。月夜と漣のように、俺たちも今を大切にしていけばいいさ。二人の愛がこの花に刻まれているように、俺たちの想いも刻んでいけばいい」

そらは少し目を潤ませながら、小さく頷く。「はい、レインさん。僕も……一緒に歩んでいきたいです」

二人はそっと手を握り合い、静かな和室に流れる穏やかな時間を味わった。その瞬間――

襖が静かに開く音がした。

「やっと見つけたよ、レイン」

不敵な笑みを浮かべた青年が、そこに立っていた。アシュリー――その名前が静かな空間をかき乱すように響く。

「百年の花との共鳴で確信したよ。こんなところで君に会うなんて、まるで運命だね」

レインは驚きつつも警戒を崩さない。「君は……誰だい?」

アシュリーは少し寂しげに微笑む。「そうか、君はもう僕のことを忘れてしまったんだね。でも、それも仕方ないか……僕はアシュリー。ずっと君を探してきたんだよ」

彼の言葉に、そらが不安げにレインを見上げる。「レインさん……」

レインはそらに安心するような視線を送り、毅然とした口調でアシュリーに向き直る。「君のことを覚えていなくて申し訳ない。でも、俺にとって大切なのは今ここにいるそら君なんだ」

その言葉に、アシュリーの目に複雑な感情が浮かぶ。

「君がそう決めたなら、それでいいさ。でも、僕のことを忘れないでほしい。いつか過去が君に戻ってきたら、僕の存在を思い出してほしい……そのとき、僕は君のそばにいるから」

そう言い残し、アシュリーは静かに和室を後にした。残された二人の間に、一瞬の静寂が流れる。

そらが小さな声で言った。「レインさん、月夜さんと漣さんのような強い絆があれば、僕たちも乗り越えられるはずです! 僕は信じていますから」

レインはその言葉に微笑み、力強く頷いた。「そうだね、そら君。君といる今が、俺にとって何よりも大切だよ。どんな過去があったとしても、君と一緒に未来を歩んでいけるって、心から信じているから」

時を超えて繋がる想い――百年の花は、今も静かに語り続ける。

『紫月探偵事務所』語り部より:終わりの言葉

物語は、時に不思議な形で私たちに語りかけてきます。それは遠い昔の記憶かもしれないし、今を生きる私たちの胸に芽吹く新たな感情かもしれません。

「百年の花」が繋いだ愛と絆、そしてレインとそらの想い。これらは、形を変えながらも、誰かの心の中に静かに根を張り続けるのです。

もしこの物語に心を動かされたなら、どうぞ忘れないでください。私たち一人ひとりが、時を超えて残る何かを紡ぐことができるのだと。どんなに小さな想いでも、それはいつか花開き、未来の誰かの心を照らす灯火になるのです。

ではまた、どこかの物語でお会いしましょう。その時まで、あなたの心があたたかな光に包まれますように。

語り部より――

アシュリー君のTikTokでの独白も見てみてくれたら嬉しいです。